村上 直広 – 車いすバスケットボール

1994年兵庫県尼崎市生まれ。生まれつきの二分脊椎症の手術に伴い膝下の神経を摘出し、右下肢機能を喪失。小学生の時に両親の勧めで車いすバスケットボールを始める。2009年と2013年のU-23世界選手権、2016年のリオデジャネイロパラリンピック、2018年の世界選手権、アジアパラ競技大会などに出場。ドイツリーグやスペインリーグでも活動。現在は「伊丹スーパーフェニックス」で活躍中。BNPパリバ所属。

代表落ちに教えられた自分や周囲への新たな視点

小学5年生の時に親の勧めで車いすバスケット体験に参加したら、「センスがある」と褒められたんです。実際に始めると、最初は届かなかったシュートが届くようになって、そのうちフリースローも、スリーポイントも入るようになった。バスケが好きというよりも、そんな風に目の前のことをクリアしていくことが楽しくて、いつの間にか今の自分がいるという感じです。

東京パラリンピックの代表選考に落ちて、実は感謝してるんです。気づかされたことがたくさんあった。ヘッドコーチから「もっとできることがあるだろう」と助言されて、自分の中であまりしっくりきてなかったプレースタイルを見直すことができた。本来自分が求めていた、僕がチームをまとめて全員でチャンスを作っていく、そんなバスケのあり方に気づかせてくれたので。

自分が本当に周りの人たちに支えられてることにも気づかされました。落選した時は自分が落胆するより、応援してくれてる人たちを落ち込ませるのが嫌だったんです。でもみんなに伝えると、軽く「次があるやん」みたいな感じで。やっぱり人と人って支え合ってて、自分一人じゃ力不足だって痛感したし、いかに支えて、支えてもらって、というバランスをうまく取ることで、これからもっと成長していけるのかなって思います。

逃げずに向き合い続けることで、どこまで行けるか

もともと僕、ポジティブって苦手だったんですよ。学生時代は発表会とかが嫌で学校を休んだり、バスケでも試合前日とか「明日は大丈夫かな…」みたいにネガティブな言葉しか出てこない。でも、メンタルトレーニングで「あなたの場合、とことんネガティブに考え詰めた後で思考がポジティブに反転するバネがある」とトレーナーに指摘されたことがあるんです。よくよく考えてみるとそれは確かにそうで、もしかしたら自分は、実はポジティブな人間なのかもしれない。実際、これまで嫌なことからさんざん逃げてきたからか、むしろ「逃げたくない」という思いが今の自分の原動力になっている気がします。

大事にしているのが、尊敬するNBAのコービー・ブライアント選手が残した「最高の自分を目指し続ける」という言葉です。やると決めたことを逃げることなくやり続けたら、最後はどんな人になれるのか、将来の自分が楽しみでやっています。「あの歳であんなに動けてスリーポイントまで入れてすごいな」とか、体力やスピードで勝てない若手にも「これだけは譲らない」という何かを持てたら、それが今考えている最高の自分ですかね。だから、引退試合ではスリーポイントを決めてコートから去っていこうって決めてるんです。

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