庄子 健 – 車いすラグビー

1980年宮城県仙台市生まれ。小・中学校を通じて剣道に親しむ。21歳の時、内装解体作業中の落下事故により脊髄を損傷。入院した病院で車いすラグビーを紹介され、退院後に競技活動を開始。2010年に日本代表選手に選考され、2012年のロンドンパラリンピック、2016年のリオデジャネイロパラリンピックに出場。リオデジャネイロ大会では初のメダルを獲得した。現在、設立に尽力した「東北ストーマーズ」で選手兼指導者として活躍中。BNPパリバ所属。

経験を通じて「自分の正解」を見つけ出すことで、人は成長する。

車いすラグビーは入院していた病院で紹介されました。見学だけのつもりだったのが練習に参加させられて、急にタックルされたんです。あり得ないですよね。「何、これ」「こんなことしていいんだ」というところでまず衝撃が走って、競技用車いすで自由に動ける感覚も衝撃的で。そこからもう「あ、これはもうやるしかないな」という感じで始めました。

あれから20年、パラリンピックに2度出て銅メダルも獲って、最近はもっぱら若手選手の育成です。でも考え方や感覚って人それぞれですから。参考程度で意見は伝えますが、自分の考えは押しつけないようにしています。大切なのは自分の頭で考えて、自分の体で感じることだと思うんですよ。

でもチームで勝ちを優先すると、若手選手は出せずに主軸選手だけで戦うようになってしまう。これでは若手は成長しない。だから、結構シビアな状況でもできるだけ若手を出すようにしています。仮にその試合に負けることになっても、やっぱり試合から得られる経験がいちばんです。経験を通じて自分で考えて、自分の正解を自分で見つけ出すことが、人が成長するためにとても大事じゃないかなと。

悔しい ― だから、頑張れる。だから、乗り越えられる。

パラリンピックは東京大会まで、と決めて代表目指して頑張っていたのですが、大病を患って一気にどん底まで落ちました。体重も13キロ落ちて、もうラグビーどころじゃない。でもちょっとずつ回復してくると、ラグビーへの思いや目標を達成できなかった悔しさが蘇ってきた。それからは、「悔しい」って気持ちをバネにして、とにかく前だけ見ました。うまくできないと悔しい。試合に負けたら悔しい。だからうまくできるように努力したし、勝てるように頑張った。どんなことでも自分にできるギリギリのところまでやらないと、絶対後悔すると思ってやってきました。

そうやって壁を乗り越えてきたこと、頑張って挑戦し続ければ、どんな障害も乗り越えられるんだと確信できたことが、僕が車いすラグビーから学んだ最大の教訓かもしれない。なんか当たり前のことかもしれませんが、ほんと、それが実感です。

「仙台に車いすラグビーチームをつくる」という夢は叶ったので、車いすラグビーを全国に普及させることがこれからの僕の夢です。各県に1つはチームができるくらい競技人口を増やしていければなと。それにやっぱり、1人でも多くの人に、壁は乗り越えられる、ということを感じてほしいですね。

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BNPパリバはEU圏、そして世界を代表する金融機関の一つです。