チーフエコノミスト 河野 龍太郎、1位に選出 – 日経ヴェリタス「債券・為替アナリスト エコノミスト人気調査」エコノミスト部門

March 9, 2022

2022年3月6日付の日経ヴェリタスにて発表された『日経ヴェリタス・第27回「債券・為替アナリスト エコノミスト人気調査」エコノミスト部門』において、BNPパリバ証券株式会社 経済調査本部長 チーフエコノミスト 河野 龍太郎が昨年に続き2年連続、通算9回目の首位に選出されました。

今回のランキングにあたり、ご評価いただきました皆様、また、平素よりお世話になっておりますお客様に、河野ならびに弊社一同、心より御礼申し上げます。

河野 龍太郎からのメッセージ

「この度は、日経ヴェリタス・第27回「債券・為替アナリスト エコノミスト人気調査 (2022年3月6日号)」のエコノミスト部門で首位に選出いただき光栄に思います。皆様から高い評価を頂き、大変感謝しております。有難うございました。 以下、日米の金融政策に関する2月18日付けのレポートです。ご高覧頂ければ幸いです」


フォワードガイダンス時代の終焉か

日米の金融政策への人々の関心の行方

(本コメントは2022年2月18日に発行されたものです)

物価安定とは、「物価の変動が十分小さく、かつ、十分緩やかなため、家計や企業の意思決定において物価が事実上考慮されない状態」である。これがグリーンスパン元FRB議長の物価安定の定義だった。この見事な定義に、各国の中央銀行も従った。物価の変動に惑わされず、人々が日々の経済活動、自らの生活に専念できる状況なら、人々は物価に関心を持たず、物価安定の責務を担う中央銀行にも関心を持たなくなるだろう。中央銀行を強く意識するのは、直接の影響を受ける金融市場参加者だけとなる。

しかるに、コロナ禍の影響でインフレが高騰し、国民生活が脅かされている米国では、国民の関心は一気にFRBに向かっている。物価安定が損なわれたのだから当然だろう。かたや日本では、日銀への国民の関心は極めて薄いままだ。これは、物価安定が保たれ、金融政策はむしろ成功していると言えるのではないか。いや、コモディティ高や円安で輸入物価が高騰を続ければ、人々の日銀への関心が一気に高まってくる可能性もある。今回のWeekly Economic Reportでは、金融政策に大きな影響をもたらす人々の「関心」についてフォーカスする。

コロナ禍やグローバル・インフレ、ウクライナ危機などが押し寄せ、現在は、VUCAの時代にあるという。VUCA とは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った言葉で、変化が大きく、将来の予測が困難な状態を意味する。日本銀行の中村豊明審議委員の山梨県金融経済懇談会の講演要旨「わが国の経済・物価情勢と金融政策」の脚注には、そう書かれてあった。

予見可能性は高まっているのか

インターネット時代、そしてAI時代が訪れると、様々な情報が瞬時に利用可能となって、わたしたちは、将来をより見通せるようになり、不確実性も低減できる、はずではなかったのか。むしろ、社会学者のウルリッヒ・ベックが言うように、近代社会において、予見可能性を高めたはずの科学技術が、逆に予見不可能な社会をもたらしているようにも見える。また、膨大な情報が入手可能になったとはいえ、この世には、わたしたちが知り得ないことが無数にある。何より、あらゆる情報が入手可能であるとしても、そもそも、わたしたちが利用可能な時間は限られ、全ての情報を消化できない。

制約は注意や関心

いや、認知心理学の発展で、時間が主たる制約ではないことも分かってきた。わたしたちが振り向けることができる注意や関心の総量に限界があることが原因なのである。そもそも人間は限られた事柄にしか注意(attention)を払うことができず、全てには対応できない。情報が消費するのは受け手の注意や関心であり、情報の洪水時代が訪れると、注意力の貧困を招くことを的確に予見していたのは、1978年にノーベル経済学賞を受賞した経営学者のハーバート・サイモンである。我々の合理性が限定的であるのは、注意力が限定的であるためだ。

問題解決ができないのは経済資源の希少性が原因ではない

社会に様々な重要課題が存在しても、わたしたちが問題に対処できないのも、理由は同じである。一般に経済資源が希少だからと考えがちだが、そもそも注意、関心が向かわないから、問題解決の機運が生まれない。さらに、社会が広く関心を持てば、解決へと着手されるが、社会は複雑であり、その解決が時として、他の問題を引き起こす。しかし、我々の関心の総量は限られているから、別の弊害が生まれても、簡単には修正されない。大事になって、人々の関心を占めるようになるまで放置されることが少なくない。政策を漫然と進めるのは、官僚の怠慢などと言われるが、多くの場合、人々の関心(無関心)の問題なのである。

成功がもたらす政策への無関心

このサイモンの注意、関心(attention)の理論を物価や金融政策にあてはめたのが、経済学者の渡辺努である。グリーンスパンは物価安定の定義を語ったが、それが達成されると、人々の関心は物価にも、中央銀行にも向かわなくなる。物価安定に成功した暁にはどうするか、グリーンスパンは考えていなかった。今回、もっと早く、物価上昇や金融政策に人々の関心が向かっていたなら、米国では、ここまでインフレ上昇が深刻化しなかったかもしれない。中央銀行に対する人々の関心を平時から維持することが大切だと渡辺は論じる。

パウエルプットの時代の終焉

冒頭で述べた通り、今では、高インフレを背景に、普段、中央銀行に興味を持たなかった米国民が強い関心をFRBの金融政策に向けている。一方、一貫してFRBを注意深くフォーカスしてきた金融市場参加者は、これまでと同様の行動原理を中央銀行が採用すると考えているのだろう。しかし、中間選挙を前に、社会全体がインフレ終息に強い関心を持っているため、果たして中央銀行がこれまでと同様の行動原理を取ることができるのか、保証は全くない。現に長期金利の水準を引き上げるために、年央までのQT開始に傾いている。少なくとも、以前のように資産市場に配慮した政策が取られることはないだろう。超人手不足社会であるため、経済にもさほど政治的な配慮が求められないかもしれない。いずれにせよ、パウエルプットの時代は終わったと考えられる。

フォワードガイダンスの時代も終了

中銀プットの時代と共に、フォワードガイダンスの時代も終了するのではないかと思われる。2000年代以降の繰り返す需要ショックに対して、金融緩和効果を最大化するために取られたのがフォワードガイダンスだった。ゼロ金利政策が常態化する中で、FRBが取り得たのがQEとフォワードガイダンスの二つだったとも言える。しかし、VUCAの時代においては、ショックは複雑で、需要ショックだけでなく、供給ショックの側面も持ち合わせ、その帰結は極めて不確実である。VUCA時代、とりわけ不確実で複雑な時代においては、中央銀行が自らの手足を縛るフォワードガイダンスは適時適切な政策運営を極めて困難にする。

さらに増すデータディペンデントの重要性

強力なフォワードガイダンスを組み込んだ2%平均インフレーション・ターゲットを導入しなければ、ここまで極端なビハインドザカーブは避けられたはずであろう。今回のパンデミック危機がフォワードガイダンス時代の終焉のきっかけとなるのではないか。高いインフレがいつ終息するのか、インフレを終息させることと景気回復は整合的なのか等々、不確実なことばかりである。そのことは単に、金融緩和だけでなく、金融引締め時においても、強いガイダンスを示すことの対価が相当に大きいことを意味する。データ・ディペンデントの重要性がさらに増すのだろう。もちろん、政策がフォワードルッキングであることの重要性は変わらない。

ゼロインフレを人々は問題視していない

次に日銀について。日銀に対する人々の関心は、2012-2013年の一時期を除くと、極めて低いままである。そもそも多くの人は、ゼロインフレを大きな問題であるとは思っていなかった。もちろん、渡辺が論じるように、消費者が値上げを許さないために、日本企業は容量削減や包装を変えただけの新商品発売で、ステルス値上げを繰り返しており、経営資源がイノベーションに向かわず、多大な浪費が生じているのは問題だろう。ただ、イノベーションの不足は、ゼロインフレだけが原因とは言えない。むしろゼロインフレは原因と言うより、イノベーションを生み出すことができない経済構造の結果のようにも思われる。

デフレ問題と誤認されたGDPデフレーターの低下

とは言え、円高=デフレという政治的なキャンペーンの成功もあり、デフレなるキーワードが人々の注意、関心を広く獲得し、2013年にはアベノミクスがスタートした。筆者自身は、2000年代半ば以降に、原油価格が高騰した際、輸入物価上昇によって、GDPデフレーターが大きく下落したことを、多くの人がデフレの影響と誤認したことも、アベノミクスの政治キャンペーンの勝利に寄与したと考えている。しかし、経済学者の齊藤誠が論じるように、実態は、資源高による輸入物価上昇によって、輸出増加にもかかわらず、人々の実質所得が抑制されていたのであって、それはデフレではなく、インフレ的な現象だった。GDPデフレーターの下落の原因が輸入物価の上昇にあったにもかかわらず、デフレで日本人が貧しくなったと主張され、リフレ政策が採用されたのである。

今度はリフレ政策を求めることにはならない

そして、現在、起こり始めている経済現象は、2000年代半ばと同じである。資源高による海外への所得移転(交易条件の悪化)で家計の実質購買力や企業業績が圧迫され始めている。さらに今回は、資源高による輸入物価上昇を円安が増幅しているため、デフレではなく、インフレ的現象として、正しく受け止められる可能性が高い。資源高や円安が続けば、人々の注意や関心が日銀の金融政策に向かう可能性が高まるだろう。今度はリフレ政策を求めることにはならないはずである。むしろその逆である。

資源高に中央銀行は対応できないが・・・

もちろん、資源高による輸入物価上昇に対応する手立てを中央銀行は持ち合わせてはいない。利上げを行っても、原油価格を押し下げることができないのは明らかだろう。問題となるのは、資源高による輸入物価上昇を円安が増幅することで、家計部門がより大きなダメージを被ることである。その円安は、日銀の金融政策とは無縁ではない。

円安は景気刺激の観点からはプラス

円安は、海外の経済主体に対して、日本で産出される財サービスを割安にするため、インフレが問題になっていなければ、一国全体では望ましい。輸入物価を押し上げるとはいえ、資源高とは異なり、経済に対して刺激効果を持つ。家計部門がダメージを被るとしても、輸出セクターが享受するメリットを含め、当面の景景気刺激という観点から言えば、低減していると言っても、まだプラス効果が大きいと言えるだろう。

YCCに組み込まれたメカニズムの発揮

そもそも、日銀のYCCには、グローバル経済の回復で海外金利が上がっても、日銀は我慢して金利上昇を抑え込み、内外金利差が拡大することで、円安を促し、それが景気刺激やインフレ醸成を促すというメカニズムが組み込まれている。日銀からすれば、その期待された効果がようやく発揮され始めたということである。それが、マクロ安定化に責任を持つ中央銀行の立場であろう。

家計を犠牲にする円安政策

しかし、インフレが安定的に2%に達していないという理由だけで、現在の超金融緩和を固定化するのは本当に適切なのか。当面の景気刺激という観点だけで政策を判断するのは、視野狭窄ではないだろうか。まず、名目賃金の上昇が限られる中で、円安が輸入物価の上昇を増幅すれば、家計部門の実質購買力は抑制され、消費回復の足枷になりかねない。輸出セクターに恩恵が及び経済全体ではプラスだとは言っても、家計の実質購買力を犠牲にする政策を固定化しているのだから、消費が一向に回復しないのは当然である。さらに企業は儲かっても溜め込むだけで、賃金も増やさないし、人的資本や無形資産、有形資産への投資も活発化させない。一体、何のために経済があるのか。

政策の固定化が生産性の低い企業を増やす

また、景気刺激(マクロ安定化政策)の観点からは望ましいとしても、超低金利政策を長期化・固定化させることは、ゼロ金利や超円安なしでは存続できない、生産性の低い企業ばかりを増やしていることにはならないか。つまり、所得分配だけでなく、資源配分にも悪影響を与えているということである。そのことは、実質賃金を引き上げることができない企業を増やすと共に、潜在成長率の回復を阻害する。コロナ禍が落ち着き、完全雇用に復帰した暁には、インフレ率が2%に達していなくても、マイナス金利政策など、副作用の少なくない政策は再検討が必要だろう。日銀もフォワードガイダンスを見直すべきだ。

輸入インフレへの関心を梃子に政策見直しを

2013年は、日銀の金融政策が社会の関心を強く惹きつけたことで、リフレ政策が発動された。ただ、その際、資源高による実質所得の抑制が本質的な問題であったにも拘わらず、GDPデフレーターの下落をデフレ問題と社会が誤認した。デフレが問題ではなく、輸入インフレの上昇による交易条件の悪化が真の問題だった。今回は、資源高による輸入物価上昇を円安が増幅しており、誰の目から見ても、インフレ的現象であり、それが家計の実質所得を抑制していると正しく認識されるだろう。超金融緩和の固定化は、財政規律の弛緩も助長している。人々の関心が輸入インフレ上昇や円安に向かうことをきっかけに、短期の景気刺激だけでなく、超金融緩和を固定化することの長期的な弊害を含めメリット、デメリットを改めて比較衡量する必要があるだろう。

参考文献

ウルリッヒ・ベック著 東廉訳、伊藤美登里訳『危険社会 新しい近代への道』 法政大学出版局 1998年

齊藤誠著『父が息子に語るマクロ経済学』勁草書房 2014年

渡辺努著『物価とは何か』講談社選書メチエ 2022年

ハーバート・A・サイモン著、佐々木恒夫訳、吉原正彦訳『意思決定と合理性』ちくま学芸文庫 2016年

Greenspan, Alan”Achieving Price Stability,” Introductory Comments for a Symposium Sponsored by the Federal Reserve Bank of Kansas City, August, 1996

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