チーフエコノミスト 河野 龍太郎、2020年度優秀フォーキャスターに選定 – 日本経済研究センター「ESPフォーキャスト調査」

October 14, 2021

河野 龍太郎(BNPパリバ証券株式会社 経済調査部長 チーフエコノミスト)は、日本経済研究センターが実施する「ESPフォーキャスト調査」において、2020年度の優秀フォーキャスターの1人として選定されました。

ESPフォーキャスト調査は、日本経済の将来予測を行っている民間エコノミスト約40名から、日本経済の株価・円相場を含む重要な指標の予測値や総合景気判断等についての質問票への回答を毎月集計し、その結果から今後の経済動向、景気の持続性などについてのコンセンサスを明らかにするものです。予測精度の成績が特に優秀であると認める「優秀フォーキャスター」として5機関(5名)が選定されています。

詳細については、日本経済研究センターのホームページをご覧下さい。
https://www.jcer.or.jp/esp-forecast-top/excellent

河野 龍太郎からのメッセージ

「皆様、ありがとうございました。

17年間で6度目の入賞なので、まぐれ当たりよりは、多少精度が高いとは思われますが、最も重視していることは、予測の当たり外れではありません。機関投資家の皆様が投資行動を決定する際、メインシナリオ、或いはリスクシナリオについて、様々な検討材料を提供することにあります。ブレーン・ストーミングのお役に立てれば、幸いです。以下は、お勧めの論考です(2021年8月20日付 Weekly Economic Report)。是非、お読みください。」


権威主義的資本主義VSリベラル能力資本主義

中国巨大テック企業への規制強化の実相

(本コメントは2021年8月20日に発行されたものです)

中国政府が再び巨大テック企業への規制を強化したことで、対中投資の拡大を再開していた機関投資家は困惑しているだろう。米中対立が続くとしても、米国経済への返り血があまりに大きいため、バイデン政権の下で抑制される経済取引は、軍事技術や人権が絡むものに留まり、新冷戦やデカップリングといった事態にはならないことが、明らかになっていた。それゆえ、人民元が基軸通貨になるまでにはまだ相当の距離があるとしても、高い経済成長を続け、米国の経済規模を早晩、凌駕する中国経済への投資を手控えるのは得策ではない、と多くの機関投資家は考えていたはずである。巨大テック企業に規制を加え、教育産業に介入する権威主義的資本主義の中国に積極的な投資を行うのは、愚策なのか。今回のWeekly Economic Reportでは、権威主義的資本主義とそれに対峙する米国などのリベラル能力資本主義について改めて考える。

資本主義の変容

資本主義は進化を続けている。社会保障制度などが導入される前の第一次世界大戦以前は、イギリスに代表される古典的資本主義の時代だった。そこでは、資本家階級と労働者階級に明確に分かれ、トマ・ピケティ教授の研究でも示された通り、生産に占める資本所得の水準(資本分配率)は極めて高く、資本の所有は一部の世襲の富裕層に著しく集中していた。第二次世界大戦で高率の法人税率や所得税率が導入され、それを原資に社会保障制度が整えられたため、戦後は米国を中心に社会民主主義的な資本主義体制に移行し、労働分配率は1970年代まで上昇傾向が続いた。社会民主主義的資本主義に移行しても、資本の所有は高度な集中が続き、富裕層と言えば戦後もそれは資本家のことを意味したが、高率の累進税制が続けられたため、高い成長の下で、経済格差も縮小傾向が続いていた。

変質が始まった1980年代

社会民主主義的資本主義の変質が始まったのは1980年からである。サッチャー・レーガンの「小さな政府」路線の下で、高い累進税率が修正され始めたが、それだけではない。1990年代には、グローバリゼーションとICT革命の進展によって、高い教育を受け、高いスキルを持つ人々に所得が集中するようになった。労働分配率が低下したのは、大戦前の古典的資本主義の時代と全く同じだが、お金持ちのタイプがそれ以前とは異なるようになった。かつての富裕層(資本家)は働かなかったが、現代は、大企業CEOやヘッジファンドのトレーダーなど、労働の対価として巨額の所得を稼ぐお金持ちが相当に増えている。また、GAFAに代表される巨大テック企業群が誕生したのはこの20年余りだが、その創設者たちはいずれも巨万の富を一代で築いた人々である。

変容は米国から始まった

振り返ると、1990年代初頭に、まず米国の資本主義の変容に人々が気づき始め、当時は、ICT革命やグローバリゼーションなどの変化に即応するアングロサクソン型の資本主義と、従業員などステークホルダーを重視するドイツなどのライン型資本主義や日本などの調整型資本主義に分けられることが多かった。しかし、その後、米国以外の先進各国の企業もグローバル資本市場からの規律に強く晒されるようになり、欧州でも日本でも程度の差はあれ、ICT革命やグローバリゼーションに適応する形で、米国型の資本主義に近づいていった。日本は、今でも上手く対応できているとは思われないが、少なくともかつての大企業の系列を中心とした調整型の資本主義とは大きく姿が異なっている。

リベラル能力資本主義の誕生

社会民主主義的資本主義から変容したものを、最近は、リベラル能力主義的資本主義(リベラル能力資本主義)と呼ぶことがある。それは、自由主義の下で、より能力の高い人により多くの報酬が向かう体制だからである。グローバリゼーションもICT革命などのイノベーションも、高い教育を受け、高いスキルを持つ人をより有利にする傾向がある。それらは、単に全体のパイを膨らませるだけでなく、オフショアリングや自動化によって、低スキル労働を代替し、所得分配構造を大きく変えた。

権威主義的資本主義は双子の兄弟

同時に、グローバリゼーションやICT革命は、開放政策を開始したばかりの中国で権威主義的資本主義を生み出す原動力となった。グローバル企業は、生産工程の細分化が可能になったため、労働集約的な生産工程を、当時、労働賃金の安かった中国などの新興国にオフショアリングしたのである。今では、米国政府は中国をモンスター呼ばわりする。しかし、米国などのリベラル能力資本主義と中国の権威主義的資本主義は、グローバリゼーションやICT革命が生み出した双子の兄弟とも言えるだろう。

巨大テック企業がもたらす弊害

もう一つのモンスター

問題は、モンスター性を示しているのが、権威主義的資本主義だけではない点であろう。強欲は資本主義につきものだが、リベラル能力資本主義でも大きな問題が起こり始めていた。まず、多くの人が認識し始めている通り、近年、イノベーションの象徴だったはずの巨大テック企業が、イノベーションを阻害し始めている。パンデミック危機前まで、米国の新規上場数が減っていたのは、様々な要因があるが、一つには、自らが作り上げたドミナント・デザインの脅威となる新興企業を大企業が買収していることが影響している。つまり、新技術の出現が抑え込まれているのである。IT企業、非IT企業に拘わらず、大企業のマークアップ比率や資本収益率は上昇傾向にあるが、それはイノベーションが頻発しているからではなく、ICT技術の駆使によって、逆に市場集中が進んでいるからである。

ビッグ・ビジネスをサポートすることの弊害

しかし、それでもビッグ・ビジネスは賞賛の的である。ビッグ・ビジネスを政策的にサポートすることが経済の活性化に寄与すると誤解する人が多く、日本でもその傾向は強いのだが、それは新規企業の参入を陰に陽に阻害する。新規企業の誕生が阻害されたことを確認するのが難しいため、大企業がより巨大になったことを見て、経済政策の成功の証であると政府も機関投資家もつい喜んでしまう。経済が金融化する時代において厄介なのは、ラグラム・ラジャン教授らが指摘する通り、独占的利益が見込まれる企業の株価が押し上げられると、競争相手を買収する力が得られ、独占の自己成就をもたらすことである。

アダムスミスの警告

経済学の父アダムスミスは、国家と既存企業の癒着や既存企業同士の共謀で競争環境が損なわれ、消費者の利益が奪われることで、経済発展が阻害されることを『国富論』で強く警告していた。皆が歓迎するプロビジネス政策は、必ずしも経済成長を促すわけではない。

儲かっても賃金を増やさない大企業

もう一つ露になった問題は、市場集中が進んだ結果、巨大になった企業が労働市場などでも独占力を発揮し始めていることである。つまり、儲かっても従業員に対し、賃金を増やさない、ということである。これが労働分配率の低下傾向を強めると同時に、企業の貯蓄の増大につながる。無形資産の時代であるから、大企業、特に巨大テック企業が投資を行うにも、以前の有形資産の時代ようには資金を必要としない。また、企業の保有者は富裕層であり、彼らの支出性向は低いため、そのことは、自然利子率を低下させ、マクロ経済成長の阻害要因となる可能性が高い。筆者は、これらのことをイノベーションのダークサイドと呼んでいるが、イノベーションそのものが問題なのではなく、独占の弊害が現れているということである。前述した通り、イノベーションそのものも独占によって抑えられ始めている。

巨大テック企業との闘い

新ブランダイス派の登場

こうした問題を認識したバイデン政権は、競争政策を担当するFTC(連邦取引委員会)委員長に新ブランダイス派のリナ・カーン氏を起用し、巨大企業の独占力を抑え込もうとしている。新ブランダイス派と称されるのは、20世紀初頭に巨大独占企業の解体など反トラスト政策を進めた法律家のブランダイス氏に因んだものである。しかし、米国は、民主主義国家であるが故に、独占の弊害を抑制するのも容易ではない。まず、これまでの競争政策の主流派の考え方は、一見、競争市場を犯すリスクがあるように見えても、潜在的な参入者が常に存在するため、市場に安易に介入すべきではないというシカゴ学派のコンテスタブル理論だった。80年代以降、競争政策の基本的な考え方としてコンテスタブル理論が採用された後に、ICT革命が始まり、それが皮肉なことに大企業に独占力を与えるようになったのである。

競争政策を蔑ろにし始めたリベラル能力資本主義

現在の米国では、企業献金は事実上の青天井である。民主主義であるが故に、独占企業に対する規制も容易には導入できない。巨大テック企業が反トラスト法の適用を避けることが可能となっているのは、積極的なロビーイング活動のお陰である。知財権が過剰なまでに保護されているのも、既得権者である大企業が金にモノを言わせ、政治力を発揮しているからである。巨万の富を持つ人々が強力な政治力を発揮して、競争政策を蔑ろにしているというのは、リベラル能力資本主義のダークサイドと言い切ることができるのではないか。

中国の規制強化はアニマルススピリッツの否定か

ようやく本題である。中国が巨大テック企業に対して、規制を強化し始めたことについて、どう考えればよいのか。元々、中国は、どちらかと言うと消費者保護はそっちのけで、ビジネスの拡大をより重視していた。重商主義的政策とも言えるのだが、今回の方策は、それが転換され、アニマル・スピリッツが中国から失われると批判する人も少なくない。しかし、これまで論じたように、巨大テック企業が独占力を発揮し始めれば、むしろイノベーションは阻害される。長い目で見れば、その方が確実に経済成長の足枷になるのではないか。

権威主義ゆえに可能となった

リベラル能力資本主義の米国では、金権政治の蔓延で、巨大テック企業を規制することも容易ではない。法の支配ではなく、官僚支配の中国には常に危うさが付きまとうのは事実だが、権威主義的資本主義であるがゆえに、大きな弊害を生みかねない経済問題に早い段階で手を付けることができたということではないか。

情報を握るのはどちらがマシか

人民の情報を中国共産党ではなく、巨大テック企業が握るのは許しがたいという視点もあるのだろう。個人情報を民が持つことも国が持つこともいずれも問題だと考えられるが、リベラル能力資本主義においても、十分な規制を受けない民間企業が、膨大な個人情報を持つことの方がより大きな問題ではないだろうか。因みに、政治から独立した監督が担保できるのなら、違法な経済取引を避け、税の捕捉を確実にするためにCBDCを利用するというアイデアに筆者はシンパシーを感じる。

教育格差がもたらす経済格差の固定化

リベラル能力主義のもう一つの弊害

もう一つの論点に移ろう。縁故主義ではなく、激しい競争の中で、高い人的資本を持つ人が高い報酬を得るのは公平であり、それがリベラル能力資本主義の良いところ、と我々は長く信じてきた。問題は、高い教育を受け高い所得を稼ぐ人々の間で同類婚が増え、スーパーカップルに富が集中するようになっていることである。もちろん、ジェンダーに拘わらず、高い能力を持つ人が高い地位に就き、より多く稼ぐ社会になったこと自体は賞賛すべきことであろう。筆者がここで問題にしたいのは、スーパーカップルが増える中で、子弟の教育を通じて、経済格差が固定化されることである。

公教育の質の低下問題

80年代以降、先進各国では、高い所得を獲得し、比較的高い税金を納める家庭が、公的教育の質に不満を持つようになった。ただ、公的教育には普遍性も必要だから、簡単には期待に応えられない。高い教育を受けたから自らが高い所得を獲得していることを痛感している家庭は、何とか高い教育を子供に与えようとする。起こるのは「孟母三遷」である。自分たちと同じような優れた教育を受けた高い所得を稼得する家族が多く住む地域への転居が進む。教育は外部効果が大きいから、そうした家庭が抜け出すと、地域の教育レベルは低下していく。大金持ちは別にして、かつては豊かな家庭も貧しい家庭も同じ地域に住んでいたから、教育に大きな格差はなかった。しかし、一旦、逆選択が始まると、公共サービスの質は低下し、悪循環が始まる。実は、新自由主義的な政策の弊害として、世界各国で最も早くから指摘されていたのが、公教育の問題であった。

グローバリゼーションも教育格差を助長

この話には、前半のICT革命やグローバリゼーションも影響している。オフショアリングによって、製造業の生産拠点が失われた地域では、製造現場での良好な賃金の仕事が消失し、中間層が瓦解した。高いスキルを持ったホワイトカラーは、その地域から抜け出し、高い賃金の仕事を見つけ出したが、コミュニティに残るのは、スキルが乏しく、低い賃金を甘受せざるを得ない人ばかりである。生活にゆとりがなくなると、子供の教育も疎かになる。コミュニティの根幹をなす学校のレベルが低下すると、ゆとりがあり教育を重んじる家計は、そのコミュニティから徐々に抜け出していく。

開かれた社会ではなくなってきた

こうした動きが80年代以降、二世代にわたって続いている。質の高い教育を受けることができるのは高所得者の子弟ばかりとなり、教育を通じて、経済格差が固定化される。開かれた社会だったはずのリベラル能力資本主義は、そうではなくなりつつある。

日本も同じ

この話は、実は、日本にもそのまま当てはまる。質の高い教育を欲する豊かな家庭は、公的教育に幻滅し、義務教育段階から、子弟を私学に通わせるようになっている。評価の高い私学が優れているのは、学校の教育が優れているというよりも、集まる生徒が優秀なためである。優秀な児童・生徒が逃げ出した学校の教育レベルは低下する。そうした問題を棚上げして、教育方法や内容を変えるだけで、無理に教育レベルを底上げしようとするから、事態は益々悪化する。日本でも教育格差が拡大し、今や東京のトップの大学は、裕福な家庭の子弟のための学校となっている。

メリトクラシーをより重んじる中国社会

中国人民も子弟の教育に血眼になっている。新たにテイクオフした新興国は、先進国に比べて、益々メリトクラシーが重んじられるから、家庭は教育に益々力を注ぐようになる。大学受験だけでなく、高校受験、中学受験、小学受験、就学前教育と競争は益々低年齢化していく。その結果、住居費の高騰と並んで、教育費の高騰が、出生数の低迷に拍車をかける。費用が負担できそうにない若者は、婚活も諦め、今や「寝そべり族」を選択し始めている。巨大テック企業への介入だけでなく、中国政府が教育産業への介入を開始したのも、それが功を奏するかどうかはともかくとして、教育費の膨張が、社会の再生産を困難にするリスクがあると考えたからだろう。

成長の質を問い始めたのではないか

中国型の権威主義的資本主義は、人民に対して、多少の自由の犠牲を要請しても、高い経済成長を約束することで補償してきた。それが困難になれば、体制は危うくなるため、リベラル能力資本主義国以上に、経済成長には敏感である。一見、一連の施策は、成長を否定し始めたようにも見える。しかし、目先の成長だけを目指そうとすれば、経済格差や教育格差を深刻化させ、ひいては長期の成長の桎梏ともなるため、経済成長の質を問い始めたのだろう。

どちらがマシか

株価が下がる政策は悪い政策と考えるリベラル能力資本主義に住む我々からすれば、今回の中国の政策は、トンデモナイ政策に映る。ただ、長期的な視点で見れば、どちらがまだマシな政策なのだろうか。少し心配になってきた。

参考文献

セバスチャン・ルシュヴァリエ著、新川敏光訳『日本資本主義の大転換』岩波書店 2015年

トマ・ピケティ著、山形浩生訳、守岡桜訳、森本正史訳『21世紀の資本』みすず書房 2014年

中澤渉著『日本の公教育 学力・コスト・民主主義』中央公論新社 2018年

ブランコ・ミラノヴィッチ著、西川美樹訳『資本主義だけ残った 世界を制するシステムの未来』みすず書房 2021年

本田由紀著『教育は何を評価してきたのか』 岩波書店 2020年

松岡 亮二著『教育格差』筑摩書房 2019年

吉川徹著『日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』光文社 2018年

ラグラム・ラジャン著 月谷真紀訳『第三の支柱 コミュニティ再生の経済学』みすず書房 2021年

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